スペシャルインタビュー

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【瀬立モニカさん・中村礼子さん】アスリートから見た、スポーツを裾野で支えるボランティア

掲載日:2021.06.17

各種競技会はもちろん日々のトレーニングや合宿先など、スポーツ界では多彩なボランティアが多方面から選手をサポートしています。こうしたボランティアの姿はアスリートの目にどのように映っているのでしょうか。リオパラリンピックに出場し、東京パラリンピック日本代表に内定しているパラカヌーの瀬立モニカさんと、アテネ、北京両五輪の競泳女子200メートル背泳ぎで連続銅メダルを獲得した競泳元日本代表の中村礼子さんにうかがいました。

PROFILE

瀬立モニカさん

瀬立 モニカ(せりゅう もにか)

1997年生まれ、東京都江東区出身。
江東区カヌー協会所属。中学2年でカヌーを始める。高校1年の時、体育の授業で事故にあい、両下肢のまひに。約1年のリハビリ後、2014年にパラカヌーに転向し、16年にはリオパラリンピックに出場。2019年の世界選手権で5位に入り、東京パラリンピックの日本代表に内定した。クラスは最も重いL1。

PROFILE

中村礼子さん

中村 礼子(なかむら れいこ)

1982年生まれの競泳元日本代表選手。
3歳で水泳を始め、日本体育大学4年生だった2004年のアテネ、続く08年の北京両五輪時に競泳女子200メートル背泳ぎで連続銅メダルを獲得した。
競泳日本女子の個人種目2大会連続メダルは、前畑秀子さん以来72年ぶりの快挙だった。現役を引退後は東京スイミングセンターに所属して水泳の指導に携わったり、各地の学校で講演活動をしたりしている。
11歳と8歳の2人の女の子を育てている。

各種競技会はもちろん日々のトレーニングや合宿先など、スポーツ界では多彩なボランティアが多方面から選手をサポートしています。こうしたボランティアの姿はアスリートの目にどのように映っているのでしょうか。リオパラリンピックに出場し、東京パラリンピック日本代表に内定しているパラカヌーの瀬立モニカさんと、アテネ、北京両五輪の競泳女子200メートル背泳ぎで連続銅メダルを獲得した競泳元日本代表の中村礼子さんにうかがいました。

1) たくさんのサポーターが
選手生活を支えてくれる

東京パラリンピック・カヌー代表 瀬立 モニカさん

東京パラリンピック・カヌー代表
瀬立 モニカさん

リオデジャネイロ大会を
支えていた多彩なボランティア

瀬立さんが取り組んでいる競技パラカヌーのことを教えて下さい。

カヌーの魅力は、健常者と障害者が同じレベルで競技ができるところだと思います。競技中は足元が見えないため、カヌーから降りてはじめて「車椅子に乗っているの?」と驚かれることもあります。時折、河川敷で練習中に橋の上から「頑張れ」と声をかけてくださる方がいるのですが、パラカヌーだとは気づいていないと思います。ただ、パラカヌーの選手は通常のカヌー選手と比べるとボランティアの方のサポートをより必要としていています。トレーナーやコーチの他、パラカヌー専用の装具のケアを行う「メカニック」と呼ばれる人たちもいて、私の選手生活はたくさんの人たちの支えによって成り立っています。

リオパラリンピックに出場した際に出会ったボランティアの方々とは強い絆で結ばれたそうですね。

ボランティアという言葉を聞いて一番に思い出すのが、2016年のリオパラリンピックで見た景色です。そこでは競技に関わる人たちだけでなく、清掃員、カヌーを運んでくれる人、車椅子や荷物を預かってくれる人、選手村までのバスの時刻を教えてくれる人など、本当に様々な人たちがそれぞれの分野で活躍されていて、ボランティアさんはすごいと強く感じました。

大会終盤には関係性も深まり、「モニカ」という名前のキャラクターが出てくる現地の漫画をプレゼントして下さったり、温かい手紙をいただいたりしました。大会後も関係が続いているボランティアさんとは一緒に食事や山登りにも行きました。競技以外でも楽しい時間を共有できるボランティアさんとの出会いは、私の人生のなかでも大きな出来事です。

パラリンピック・リオデジャネイロ大会でボランティアの方々と一緒に記念撮影する瀬立モニカさん

PROFILE

瀬立モニカさん

瀬立 モニカ(せりゅう もにか)

1997年生まれ、東京都江東区出身。
江東区カヌー協会所属。中学2年でカヌーを始める。高校1年の時、体育の授業で事故にあい、両下肢のまひに。約1年のリハビリ後、2014年にパラカヌーに転向し、16年にはリオパラリンピックに出場。2019年の世界選手権で5位に入り、東京パラリンピックの日本代表に内定した。クラスは最も重いL1。

強化合宿のサポーターは大宜味村のおじい、おばあ

強化合宿のサポーターは
大宜味村のおじい、おばあ

日ごろの活動拠点は東京都江東区とのことですが、最適な練習環境を求め、沖縄県で強化合宿をしていますよね。沖縄での合宿の様子はどういうものですか。

地元江東区でカヌーに乗る瀬立モニカさん

沖縄県大宜味村で強化合宿をするようになり今年で3年目になります。毎回、半年ほど滞在するので住んでいるような感覚で、もう第二の故郷です。村のおじいたちが練習場に手作りのスロープを作ってくれたり、おばあたちは毎日、新鮮な野菜やおいしい料理を届けてくれたりします。

ただ、私が来ることが決まった当初、村の人たちの中に「車椅子の人とどう関わっていいのかわからない」「障害について踏み込んで聞くのはタブーなのではないか」といった緊張感があったそうです。しかし、実際に触れ合ううちに、普通に話しかけていいのだということに気づいたそうで、今では家族のように見守っていただいています。村の人たちも私がいる生活にすっかり慣れ、こちらから頼まなくても先回りして動いて下さるので本当に助かっています。マメに連絡を取り合うようになったためか、私が来てから大宜味村のスマートフォンの普及率が上がったと聞きました。

「ボランティア」というより「サポーター」

「ボランティア」というより
「サポーター」

瀬立さんの存在によって、大宜味村の人たちは障害やパラスポーツが身近になったのですね。瀬立さんと大宜味村の人たちのお話からは、ボランティアとアスリートの枠を越えたつながりを感じます。

大宜味村の方々が自分たちをボランティアだと思って活動されているかというと、そうではないと思います。大工仕事が得意だからスロープをつくる、料理が好きだから栄養満点の食事をつくる、というように、あらゆる分野において、得意な人が苦手な人の代わりをしているだけ、という感覚なのではないでしょうか。だから私の中では、ボランティアというよりサポーターと呼ぶほうがしっくりきます。

沖縄県で、宿舎に車いす用のスロープを作ってくれた地元の人の髪を切る瀬立モニカさん

もちろん私はカヌーを1人で運べませんし、練習も1人ではできません。サポーターの人たちがいなくては競技ができないのは大前提です。だからこそ、私も、何かをしてもらったぶん、何かをしてあげたいという気持ちがあります。そのひとつとして心がけているのが、大宜味村の魅力のPRです。カヌーの関係者に「次はプライベートで来ます」と言っていただけるよう、きれいな海やおいしい料理を積極的に紹介しています。特に大宜味村の名産シークワーサーについては村の人たちにしっかり知識をたたき込まれたので、おいしい食べ方について延々と話せるようになりました。大宜味村と、大宜味村に興味がある人たちとの架け橋になれているとしたらうれしいです。

現役選手らしく力強くも笑顔でインタビューに応じる瀬立モニカさん

ボランティアの参加者が増えれば増えるほど
環境はよくなる

ボランティアの参加者が
増えれば増えるほど
環境はよくなる

応援してくれる人たちと接する時に意識していることはありますか。

ボランティアの方々がして下さることを、してもらって当たり前だと思うようになってはいけないと感じています。そのために、私は常に笑顔でいることを意識しています。ムスッとした顔をした人にサポートしようとは誰も思いませんよね。反対に、笑顔でいる人のところにはたくさんの人が集まります。「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがある通り、たくさんの人が集まればたいていのことは助け合えます。ですからボランティアも、人がたくさん参加すればするほど豊かで充実したコミュニケーションが生まれるはずです。難しいことでなくても大丈夫です。例えば、みなさんからの「頑張れ」の一言が選手にとっては大きなパワーになります。

パラフェス2018で活動する秋吉桃果さん(中央)=2018年11月、日本財団パラリンピックサポートセンター提供

パラリンピック・リオデジャネイロ大会でボランティアの方々と記念撮影する瀬立モニカさん

2) 五輪会場の雰囲気を
つくってくれるボランティア

競泳元日本代表 中村 礼子さん

競泳元日本代表 中村 礼子さん

引退後はより広い視野を持って
水泳と関われるように

2008年の北京五輪後に引退してからの現在の活動状況を教えて下さい。

現役を退いてからもう10年以上経ちます。その後、2人の出産・子育てを経て、近年は水泳を指導したり、講演会でお話させていただいたりしています。選手とは違った形で水泳に関わる機会が少しずつ増えてきました。現役選手の頃は自分のことで頭も気持ちもいっぱいで、知らず知らずのうちに視野が狭くなっていたと思います。引退後は心に余裕が生まれたせいか、今の方がずっと広い視野を持って水泳と関われています。

選手時代より今の方が広い視野で水泳と関わるようになったことで得た気づきはありますか。

引退直後はアスリートとしての感覚が抜けきらず、トップを目指すのが当たり前だという考えが強かったのですが、時間が経つにつれ、水泳の楽しさはそれだけではないと感じるようになりました。1番ではなくとも、目標に向かっていくプロセスが自分の中でしっかりと消化できていれば、その結果には十分価値があります。このことに気づいてからは、皆さんの目標に合わせた指導やアドバイスができるようになった気がします。

引退後に気づいたことがもうひとつあります。それはボランティアの重要性です。練習や競技の場で、たくさんのボランティアさんが支えてくれていたのだなと、振り返ってよく思うようになりました。現役選手の頃は自分のことに精いっぱいで余裕がなく、もっとたくさんボランティアさんとコミュニケーションをとればよかったと少し後悔しています。

日本新記録を樹立して金メダルを獲得した2006年のパンパシフィック水泳選手権

PROFILE

中村礼子さん

中村 礼子(なかむら れいこ)

1982年生まれの競泳元日本代表選手。
3歳で水泳を始め、日本体育大学4年生だった2004年のアテネ、続く08年の北京両五輪時に競泳女子200メートル背泳ぎで連続銅メダルを獲得した。
競泳日本女子の個人種目2大会連続メダルは、前畑秀子さん以来72年ぶりの快挙だった。現役を引退後は東京スイミングセンターに所属して水泳の指導に携わったり、各地の学校で講演活動をしたりしている。
11歳と8歳の2人の女の子を育てている。

ボランティアはアスリートの絶対的な味方

ボランティアは
アスリートの絶対的な味方

ボランティアに関しても視野が広がったのですね。今、改めて、選手を支える人たちについてどのようにお感じになっていますか。

今回、「東京ボランティアポータル」に掲載されていたインタビュー記事を読んで、活動のきっかけややりがいなど、ボランティアさん側にもそれぞれ重厚なストーリーがあることを知りました。アスリートの心境を語る記事はたびたび見かけますが、ボランティアさんのインタビューってなかなか見ないのでとても新鮮でした。読むと、みなさんがすごく前向きにボランティア活動を捉えていて、行く先々で出会ったボランティアの方々が、いつも笑顔で明るいオーラをまとっていた理由がよくわかりました。

ボランティアさんはアスリートの絶対的な味方です。振り返ってみると、選手時代はボランティアさんと少し会話をするだけでもパワーをもらえていたのだろうなと思います。今、現役選手時代に戻れるのであれば、支えてくださったボランティアさんともっと会話を楽しみたいですね。

女子100mと200mでいずれも銅メダルを獲得した2007年の世界水泳メルボルン大会

ボランティアが試合会場の空気をつくっている

ボランティアが試合会場の
空気をつくっている

コーチにもトレーナーにも果たせない役割をボランティアは果たしている、と最近お感じになったという実際の五輪での経験についてお聞かせ下さい。

私が参加したアテネ大会でも、北京大会でも、ボランティアさんには本当にお世話になりました。競技会場をはじめ、選手村や食事会場の案内など、困ると感じる前にボランティアさんが手を差し伸べてくださるので、海外という慣れない環境であっても安心して競技に挑めた記憶があります。なかには試合結果をチェックしている方もいらっしゃって、笑顔で「おめでとう」と声をかけてくれる人もいました。日々の仕事が忙しい中、レースを見て応援してくれていたのだと思うと本当にうれしかったです。

日本記録を更新して銅メダルを獲得した2004年のアテネ大会

そして、オリンピック・パラリンピック会場の空気をつくっているのはボランティアさんなのではないかと最近感じるようになりました。試合前は、選手はもちろん、コーチもトレーナーもみんな緊張でピリピリしているものです。もし関係者しかあの場にいなければ、相当、息苦しい空気になっているはずです。ボランティアさんが加わり、雰囲気を和やかにしてくれていたからこそ、アスリートはリラックスして試合に挑めるのだと思います。

2003年のユニバーシアード大会でボランティアの方々と

多様な動機・目的を持った人に参加してほしい

多様な動機・目的を持った人に
参加してほしい

選手時代と、選手を離れた今と。異なる立場を経験し、ボランティアに伝えたいことはどういうことでしょうか。

私のママ友の1人が東京オリンピック・パラリンピックのボランティアに応募したと聞きました。彼女はスポーツが大好きで「日本で開催するオリンピック・パラリンピックに関われるチャンスなんてめったにないことだからうれしい」と言っていました。

誰かの役に立ちたい、支えになりたい、という気持ちも素晴らしいですが、彼女のように「好きだから」「楽しそうだから」といった動機での参加もとてもいいと思います。誰かを支援するのが好きな人、スポーツが好きな人、人と関わるのが好きな人、お祭り好きの人、ただ友達に誘われた、など、多様な動機を持った人が集まることが大会の盛り上がりに必要だと私は考えています。

引退翌年の2009年、小学校水泳教室で子どもたちに水泳を指導

2018年に小学校で講演。子どもたちの興味に合わせた話をするようにしている。

ボランティアのみなさんはチームメートであり、大切な仲間です。ともに戦った時間を通して、生活や人生を楽しくするコミュニティの大切さを実感します。東京オリンピック・パラリンピックでも選手とボランティア、あるいはボランティア同士の素敵な関係が生まれるでしょう。多くの味方と一緒に戦える日を楽しみにしています。東京パラリンピック・カヌー代表 瀬立モニカさん

ボランティアのみなさんはチームメートであり、大切な仲間です。ともに戦った時間を通して、生活や人生を楽しくするコミュニティの大切さを実感します。東京オリンピック・パラリンピックでも選手とボランティア、あるいはボランティア同士の素敵な関係が生まれるでしょう。多くの味方と一緒に戦える日を楽しみにしています。東京パラリンピック・カヌー代表 瀬立モニカさん
ボランティアをしてみたいけれどできるだろうか、というような不安は抱かないで下さい。ボランティアさんは会場にいてくださるだけで選手の力になりますし、ボランティアさんに支えていただいた経験は、引退後の今でも私の大切な思い出として心に残り続けています。競泳元日本代表 中村礼子さん

ボランティアをしてみたいけれどできるだろうか、というような不安は抱かないで下さい。ボランティアさんは会場にいてくださるだけで選手の力になりますし、ボランティアさんに支えていただいた経験は、引退後の今でも私の大切な思い出として心に残り続けています。競泳元日本代表 中村礼子さん