活動のヒント
難しい言葉を言い換え、相手に配慮して伝える「やさしい日本語」。1995年の阪神・淡路大震災で、日本語を母語としない外国人に必要な情報が届かなかったことをきっかけに注目されました。多文化共生社会の実現に向け、災害時だけでなく、行政情報や生活情報の発信など、様々な分野のコミュニケーションや広報のツールとして活用が広がっています。
新型コロナウイルスの影響下でも、様々な情報が流れる中で在住外国人などへの情報発信が課題に。医療者や大学生たちは「やさしい日本語」での情報発信に取り組みました。
コロナを経た「新しい日常」では、高齢者や障害者など様々な人にとってわかりやすいコミュニケーションがいっそう重要になるでしょう。「やさしい日本語」で「やさしく、新しい日常」を作っていこう。そんな取組を紹介します。
やさしい日本語MOVIE
1) 医療現場で「やさしい日本語」を
コロナ検査動画を制作
「やさしい日本語」で伝わる場面は多い
新型コロナウイルスへの感染を調べるPCR検査。「どんなことをされるの?」と不安に思うのは誰でも同じですが、言葉が通じない環境であれば、なおさらです。検査の手順を外国人にわかりやすく説明できるよう、「やさしい日本語」を用いた医療者向けの動画を4月末に制作したのが、順天堂大学医学部の武田裕子教授を代表とする、医療×「やさしい日本語」研究会のメンバーです。
もともと武田教授は医学・医療者教育の一環として、学会やセミナーなどで「やさしい日本語」を広める取組をしてきました。東京都国際交流委員会の調査(2018年)によれば、都内在住の外国人が困っていることの1位は「医療」に関することでした。医療現場での「やさしい日本語」の必要性について、武田教授はこう説明します。
「近年の在住外国人の増加に伴い、医療者が外国人の方と接する機会は増えていますが、様々な言語の医療通訳者がいつも同席できるわけではありません。診断名や詳しい病状の説明、複雑な判断が必要な場面では通訳が必要ですが、受付や採血検査など日常的なやりとりであれば、『やさしい日本語』で十分伝わる場面も多くあるんです」
医療者の中には「外国人と話すには外国語を話せないといけない」と思っている人も多く、「やさしい日本語」はまだ広まっていないといいます。
熱い思いがつながって、スピーディーに進んだ動画制作
動画制作のきっかけは、医療者向けの「やさしい日本語」の教材を作るための研究会メンバーとの打ち合わせの場でした。「新型コロナウイルスの検査を受けるように保健所に指示された外国人が、ある検査機関に向かおうとしたら、通訳者の同伴が必要と言われた」という話が話題に上ったのです。
感染のおそれがある中で、検査に医療通訳者が同行して十分なサポートをするのは現実的ではありません。検査に必要な会話は定型的な表現が多いので、「やさしい日本語」に置き換えることで理解できるのではないか。
武田教授がまず相談したのが、以前から「やさしい日本語」に関心を持ち普及に協力してくれていた順天堂大学病院の看護部長。電話をすると、即座に外来担当者の協力を取り付けてくれました。問診票や検査手順の解説書を入手し、検体採取の手順も再現してもらって録画。それらの素材をもとに、聖心女子大学日本語日本文学科の岩田一成教授らが「やさしい日本語」にしました。
例えば検体採取の際の「お鼻の中に綿棒を差し入れます」という声かけは、「鼻にこれを入れます」とシンプルな言い回しにして綿棒の実物を見せるなど、現場での動きにのっとって解説しました。「一部でも違っている内容があれば、全体の信頼が失われる。医療的な正確性に気を配るとともに、イラストを用いてなじみやすさ、見やすさを心がけました」(武田教授)
動画での表現については友人の映像ディレクターに相談。アニメーションや音楽についても同時に検討を重ね、最後にもう一度専門医のチェックを経て、100秒の動画ができ上がりました。
目の前にいる人の困りごとに応えたい
発案から完成までわずか1週間というスピードで形になったのは、「目の前に困っている人がいて、自分にできることがあるのなら動こう」というメンバー一人ひとりの熱い思いがあり、行動を起こしたからこそ。
「『やさしい日本語』の正解は一つではありません。大切なのは、『やさしい日本語』の知識よりも、相手の困りごとに応えたいというマインドです。一つの困難を抱えている人は、その背後にいくつもの困りごとを抱えている場合も多い。『他に困っていることはありませんか?』と気にかけてアプローチする。そういう態度が医療者には求められると思うんです」
相手に理解してもらえる表現を探して言葉をかける。武田教授は「『やさしい日本語』は外国人だけでなく、ご高齢者や、聴こえに問題があったり言葉の理解が難しかったりする人にとっても助けになります。多くの医療者に『やさしい日本語』が役に立つことを知ってもらいたいです」と話します。
医療現場で使える「やさしい日本語」
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体温を測定していただけますか。
熱を測ります、調べます。
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お鼻の中に綿棒を差し入れます。
鼻にこれ(綿棒)を入れます。
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後日結果の方は電話でお知らせさせていただく形になります。
明日には結果が出ます。電話をします。
2) 困っている外国人に情報を届けたい
学生がオンラインで動画制作
2) 困っている外国人に情報を届けたい
学生がオンラインで動画制作
一度も対面できない中、
「いま自分たちにできることは何か」
明治大学国際日本学部の山脇啓造教授のゼミでは、多文化共生をテーマに地域に密着した活動を続けています。
2018年度から始めた「やさしい日本語」の普及活動もその一環。地元の商店街の店主や大手企業の社員を対象に「やさしい日本語」のワークショップを開くなど、キャンパスがある中野区をフィールドに活動してきました。
ゼミには3年生の4月から所属しますが、コロナ状況下で授業やゼミ活動はすべてオンラインになりました。例年は4月下旬に1泊2日で開催するゼミ合宿ですが、今年は11時間半の「オンライン合宿」を行いました。
このゼミ合宿で決まったのが動画発信です。3年生14人のゼミ生のうち9人が動画班を立ち上げ、いま社会でニーズの高い課題は何か、それに対して自分たちにできることは何か。議論を重ねた末に、困っている外国人向けにコロナウイルス関連情報を「やさしい日本語」で発信することになりました。
当初は一人10万円が給付される特別定額給付金の受け取り方を解説する動画のアイデアが出ましたが、調べてみるとすでに多言語で情報が発信されていることが判明。そこでまだ情報が少ない、生活福祉資金や住居確保給付金、コロナで困った時の生活や仕事の相談窓口の情報をテーマにしました。
アドバイスもらい修正を重ねる
3年生のメンバーは、実際に「やさしい日本語」への言い換え作業をするのは今回が初めてでした。
「日本人から見れば簡単に思えても、外国人の方に聞くとどういう意味かわからないと言われた言葉も多かった。
4年生の先輩や、東京都の担当者の方にも意見をもらいながら修正を重ねました」(吉鶴太聖さん)
例えば「返還期間」は「返さなくてもよい期間」に言い換え、「一定の金額」は「あなたが住んでいる町が決めた金額」に。
一方で、すべて言い換えればいいわけではないことにも気づきます。
「当初、『保証人』は『保証する人』に変えたのですが、意味が曖昧になってしまいました。また、実際の書類作成の現場で使われる言葉でもあるので、『保証人』のままにすることにしました」(鄭惺録さん)
言い換え以外にも苦労がありました。
ナレーションをゆっくり読もうとするとアクセントがなく棒読みになってしまったり、外国人を表すイラストで多様性に配慮できていなかったり。フィードバックを参考に何度も修正を重ね、約1カ月をかけて2分半~4分の4本の動画が完成しました。その間、対面では一度も集まることができないまま、学生たちはラインで頻繁にコミュニケーションを取りました。
「やさしい日本語」でやさしい社会に
苦労のかいあって、完成した動画を見た外国人からは「一文が短くてわかりやすい」と好評で、学生たちは今回の動画の制作を通じて、改めて「やさしい日本語」の意義を実感したそうです。
「私自身、初めて厚生労働省の生活福祉資金貸付制度の説明を読んだ際はよく理解できませんでした。でも、『やさしい日本語版』の説明を読んでやっと理解できました。また、お年寄りからも、『やさしい日本語』だと難しい公用文もわかりやすくなるという声もいただきました。『やさしい日本語』は外国人だけでなく幅広い人にとってわかりやすいものだと実感しました」(塚田百音さん)
「3月までアメリカに留学していたのですが、英語だと情報を集める時にどれが正しいのか見極めることが難しかった。日本にいる外国人の人もきっと同じような思いをしていると思うので、この動画が役に立ったら嬉しいです」(鋤柄唯さん)
山脇教授は、地域社会で「やさしい日本語」が果たす役割について、こう期待を寄せています。
「多文化共生の取組の中で、外国人住民へのサポートはある程度進んできました。一方で、受け入れる側の地域社会の意識はあまり変わっていない。相手の日本語力に応じて工夫して話しかける『やさしい日本語』が広がることで、地域での交流が進み、外国人へのやさしい気持ちが広がることを期待しています」
日常生活で使える「やさしい日本語」
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生活費
生活するためのお金
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特例貸付
特別にお金を貸します
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給与明細
給料がどれくらいもらえたかわかるもの
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送付される
送られる
3) 知的障害者に向けて、
わかりやすいニュースを発信
3) 知的障害者に向けて、
わかりやすいニュースを発信
当事者も交え、わかりやすい表現を探る
スローコミュニケーションのサイトに週に1本掲載される「わかりやすいニュース」。知的障害のある人に向けて発信しており、国内、海外、障害といったカテゴリーが並びます。
見出しを見ると「レジ袋にお金がかかるようになった」「検察官の定年をのばす案が問題になっている」など、その時々の話題が「やさしい日本語」で簡潔に説明されています。文字を読むより、聞いた方が理解しやすい人もいるので、わかりやすいニュースを読み上げた音声もアップしています。
知的障害者の親の会が1996年から知的障害者のための新聞「ステージ」を発行してきた活動をもとに、2016年にスローコミュニケーションが設立され、ウェブ上でのニュース発信の取組を始めました。
制作を担っているのは、早稲田大の卒業生を中心とした有志10人。メンバーは公務員や会社員、福祉施設の職員など、職業も住んでいる地域もバラバラ。それぞれの仕事の合間を縫って参加しているそうです。その週の担当者がたたき台を作り、知的障害のある当事者も交えてメールやラインでやりとりをしてわかりやすい表現や分量を探っています。
コロナでも安心できる材料を伝えたい
こうした取組の一環として、スローコミュニケーションでは3~4月に「特集新型コロナウイルス」と題した9本の解説記事を掲載しました。
「もし体調がわるくなったら」「うつるしくみ」「仕事をしている人の予防のしかた」など、テーマはいずれも生活に直結した疑問に即したものです。
なぜこのような記事を発信したのか、執筆に携わったスローコミュニケーション理事の羽山慎亮さんは説明します。
「情報があふれかえり、何を信じていいかわからず、先の見通しが立たない状況だった3月、お店や職場がなぜ閉まっているのか、わからなくて混乱したという方もいました。いま何が起きているのかわかるだけでも安心の材料になるのではと考え、コロナについての解説記事を作りました」
伝える側の事情より、受け取る側に寄り添うこと
「やさしい日本語」は、当初は主に外国人向けとして広まりましたが、「知的障害者向けには『わかりやすい日本語』と呼ばれることも多いんです」と羽山さん。
羽山さんは、わかりやすい情報発信のポイントとして、表現や文法を簡単にするだけでなく、情報の整理が必須だと言います。背景や前提となる情報を補足するほか、伝えたいことがはっきりするように、相手にとって必要な情報を絞り込むことも意識している、と説明します。
コロナ関連の記事でも、例えば「必要なときだけ出かけましょう」など、読者の気持ちに寄り添った言い回しを心がけました。「元は『不要不急の外出を控えましょう』という表現ですが、『不要不急』『控える』と否定の意味を表す表現が続き、わかりにくいですよね。肯定の表現を使うことで、必要なときは出かけられるというポジティブな印象にもなります」
近年、知的障害のある人の社会参加が進んでいます。自分たちにかかわることを自分たちで決める、その意思決定のための土台となるのは情報です。自治体や企業の情報発信は「伝えないといけないから伝える」になりがちだと羽山さんは指摘します。
「大事なのは、伝える側の事情ではなく、受け取る側の状況を踏まえること。社会全体で『やさしい日本語』の必要性は増していると思います」
コロナ対策で使える「やさしい日本語」
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換気の悪い密閉空間
空気をあまり入れかえていないところ
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多数が集まる密集場所
たくさんの人が集まっているところ
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間近で会話や発声をする密接場所
いろんな人と近い距離で話すところ
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不要不急の外出を控えましょう
必要なときだけ出かけましょう
[ 「やさしい日本語」に関連するリンク集 ]
もっと事例を探したい方
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横浜市国際交流協会「やさしい日本語」
「やさしい日本語」を使う人に便利な情報やツールを掲載 -
東京都つながり創生財団「外国人のための生活ガイド」
外国人が東京都で暮らしていくために必要な情報を「やさしい日本語」で提供 -
「COVID-19 多言語情報ポータル」
主に首都圏に住む外国人に向けて、新型コロナウイルスや生活に必要な情報を「やさしい日本語」も含めた多言語で発信 -
一般社団法人やさしいコミュニケーション協会
やさしい日本語(医療)サポーターやインストラクターの養成講座を開催するほか、やさしい日本語に関する様々な情報をHPに掲載 -
NHK 「NEWS WEB EASY」
国内外の様々なニュースを簡易な日本語で、漢字にはルビをふって掲載 -
朝日新聞 「withnews」 #やさしい日本語
在住外国人の生活にまつわるトピックのほか、コロナに関連した手続・相談などについて簡単な日本語とイラストを交えて説明