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能登半島地震 発生1年 被災地で週末支援活動 ボランティアチーム「援人」中野さん 「ニーズある限り東京から通う」
2025.04.07

関東の社会人を中心とする災害ボランティアチーム「援人(えんじん)」が週末に、能登半島地震の被災地で支援活動を続けている。リーダーで東京のIT企業経営中野宗(はじめ)さん(59)は2024年の1年間、52週中50週通った。東日本大震災以降、10年以上ボランティアを続けており「ニーズがある限り、能登に来続ける」と誓う。(新居真由香)
中野さんは昨年、9月の豪雨時と年末を除く全ての週末を能登で過ごした。今年も活動を継続し、年始と大雪警報発令時の3週以外は欠かさず訪れている。1月下旬は豪雨で甚大な被害を受けた石川県輪島市の西保地区で、膝よりも高く積み上がった土砂をかき出した。
援人は力仕事を得意とする。約110人が登録し、仕事を終えた金曜夜、活動に参加できるメンバーが東京に集まる。午後10時半ごろ車で出発して、土曜朝に能登到着。日曜夜に東京へと戻る。
地震直後の昨年1月5日から、支援物資の仕分けや家財の片付け、泥出しなどを担ってきた。現在は、能登に拠点を置く「災害NGO結(ゆい)」(沖縄)と連携し、要請を受けた場所で活動している。結の前原土武(とむ)代表(46)は「援人さんのような応援がなければ僕らの活動も続かない。大きな力になっている」と感謝する。
中野さんはもともと、力仕事が苦手。東日本大震災の被災地に赴いた際、最初は「自分は役に立たないだろうな」と感じていた。だが、家財の片付けなどを手伝い、きれいになる景色を目の当たりにするうちに「参加することは無駄ではない」と感じ始めた。
12年1月、同じボランティアバスに乗り合わせたメンバーと援人を設立。東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内の避難指示区域のほか、関東・東北豪雨、熊本地震、西日本豪雨の被災地などでも活動した。
23年5月に石川県珠洲市で震度6強を観測した地震の後も被災地を訪れていた。24年1月の能登半島地震以前の姿を知っているからこそ「変わってしまった景色を戻す手伝いがしたい」との思いは強い。
ボランティアを続ける理由を「体を動かすなら、人の役に立った方が良い」と笑いながら語る。数々の被災地を見てきた経験から「足並みをそろえて一気に復興することはない。取り残される人が絶対に出てくる」と痛感している。だからこそ「長く足を運び続ける意味がある。時間がたってから出てくるニーズに応えられるようにしたい」と力を込めた。
中野さんは昨年、9月の豪雨時と年末を除く全ての週末を能登で過ごした。今年も活動を継続し、年始と大雪警報発令時の3週以外は欠かさず訪れている。1月下旬は豪雨で甚大な被害を受けた石川県輪島市の西保地区で、膝よりも高く積み上がった土砂をかき出した。
援人は力仕事を得意とする。約110人が登録し、仕事を終えた金曜夜、活動に参加できるメンバーが東京に集まる。午後10時半ごろ車で出発して、土曜朝に能登到着。日曜夜に東京へと戻る。
地震直後の昨年1月5日から、支援物資の仕分けや家財の片付け、泥出しなどを担ってきた。現在は、能登に拠点を置く「災害NGO結(ゆい)」(沖縄)と連携し、要請を受けた場所で活動している。結の前原土武(とむ)代表(46)は「援人さんのような応援がなければ僕らの活動も続かない。大きな力になっている」と感謝する。
中野さんはもともと、力仕事が苦手。東日本大震災の被災地に赴いた際、最初は「自分は役に立たないだろうな」と感じていた。だが、家財の片付けなどを手伝い、きれいになる景色を目の当たりにするうちに「参加することは無駄ではない」と感じ始めた。
12年1月、同じボランティアバスに乗り合わせたメンバーと援人を設立。東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内の避難指示区域のほか、関東・東北豪雨、熊本地震、西日本豪雨の被災地などでも活動した。
23年5月に石川県珠洲市で震度6強を観測した地震の後も被災地を訪れていた。24年1月の能登半島地震以前の姿を知っているからこそ「変わってしまった景色を戻す手伝いがしたい」との思いは強い。
ボランティアを続ける理由を「体を動かすなら、人の役に立った方が良い」と笑いながら語る。数々の被災地を見てきた経験から「足並みをそろえて一気に復興することはない。取り残される人が絶対に出てくる」と痛感している。だからこそ「長く足を運び続ける意味がある。時間がたってから出てくるニーズに応えられるようにしたい」と力を込めた。