スペシャルインタビュー
- 医療・福祉・人権
- 子ども・教育
- 多文化共生・国際協力
- スポーツ
【和田毅さん】「僕のルール」でワクチン寄付。一球入魂で続けた20年
2024年のシーズンを最後に、現役引退を表明したプロ野球・福岡ソフトバンクホークスの和田毅さん。1球投げるごとに10本のポリオなど感染症予防のワクチンを寄付するという「僕のルール」を作り、これまでに73万5120人分のワクチンを発展途上国の子どもたちに贈ってきました。20年にわたって活動を続けてこられた理由や、引退後の取り組みについて聞きました。
投げれば投げるほど増える、助かる命。やりがいを実感
――寄付や社会貢献に関心を持つようになったきっかけを教えてください。
小学生のとき、赤い羽根や緑の羽根の募金に触れ、いつかは自分で稼いだお金で募金したいと思ってきました。プロ1年目の2003年当時は、阪神タイガースの赤星憲広さんの車椅子寄付や、ホークスの先輩である井口資仁さんの車椅子寄付をはじめとした様々な社会貢献活動が有名でした。でも、実は他にもたくさんの選手が、公にしないで寄付や社会貢献をしていました。それを知ったときは本当に驚きましたね。やっぱりプロってすごいなと。自分も絶対に何か始めたいと思うようになりました。
――なかでもワクチンを寄付するようになったのは、なぜですか?
プロ2年目のオフ、何かできないかと球団に相談する中で、NPO法人「世界の子どもにワクチンを 日本委員会」(JCV)と出会うことができました。ワクチンがないために、1日に8000人もの子どもが感染症で命を落としている。そんな現実を知り、信じられない気持ちでした。僕からすれば、ワクチンは子どもの頃に受けて当たり前だと思っていましたから。その後、結婚して親となり、子どもがワクチンを受けられない環境を考えただけでゾッとしましたし、世界に1本でも多く届けたいという気持ちはさらに強くなりました。
――「僕のルール」は投げる球数に応じて、寄贈するワクチンの本数が決まるというものですね。
決まった金額を寄付すると、どうしてもお金を贈るという形になります。これでは、何本のワクチンを贈れたのか、自分自身が分かりづらい。何か違うなと。投げる球数に応じてワクチンを寄贈すると、自分が投げれば投げるほど、助かる子どもが増える可能性がある。これは、とてもやりがいがあると感じました。そこで1球ごとに10本というルールを設け、勝利投手になれば20本、完投で30本、完封で40本と、1球ごとに贈る本数を増やすことにしました。
始めて20年。反響の大きさには自分が一番驚いていますね。タクシー会社なら走行距離、建設会社ならトンネルを掘り進める距離に応じてワクチンを贈る。他にも本当にたくさんの「僕のルール」「私のルール」ができました。全国に広がっていることを知って、やっていて良かったなと感じました。
通算73万人分、支援が現役を続けるモチベーションに
ナゴヤドームのマウンドに立つ和田毅さん(2023年7月19日、朝日新聞社提供)
――2005年から20年、活動を続けてこられた理由を教えてください。
自分が投げ続けないとワクチンは贈れないので、やっぱりモチベーションにはなっていましたね。シーズンが終わると、1年間にワクチンを何本贈ることができたのか、数字としてはっきり表れます。毎年、数字を確認することで、「今年は頑張れたな」「納得できる成績じゃなかったな」と、自分の中で反省会ができましたし、毎年1本でも10本でも増やしたいという意欲につながっていました。
JCVさんと一緒になって続けてこられたというのも大きいですね。単にワクチンを寄付する、寄付されるという関係性ではなく、ファミリーのように感じています。キャンプ中の宮崎まで感謝状を届けに来てくれて、自分のことを心から応援してくれていると感じましたね。
――寄贈したワクチンはトータルで73万5120人分になったそうですね。
引退表明の後、73万人という数字を改めて見て驚きましたね。感慨深いなと。ミャンマーだけだった支援国も、今ではラオス、ブータン、バヌアツにも広がっているそうです。そういうのを聞くと、少しでも役に立てたかなと思いますね。そして何より、自分がやりたい、という気持ちをずっと大事にしてきました。僕自身が自然に楽しいと思えることを続け、その結果として寄付や支援につながっているので、やりがいがあるし、うれしいですね。
NPO法人「世界の子どもにワクチンを 日本委員会」(JCV)から感謝状を贈呈される和田毅さん(2024年2月22日、福岡ソフトバンクホークス提供 Ⓒ SoftBank HAWKS)
――楽しむことの大切さに気づくようになった転機はありますか?
メジャーリーグ挑戦のため、アメリカに渡ったことが大きいですね。現地のチャリティーイベントは、まるでパーティーのようで本当に驚きました。例えばチームで小児がんの子どもたちを招いたイベントでも、重く暗い雰囲気が一切ない。音楽がガンガンかかっていて、大人たちはお酒を飲んだり、チームの選手たちは、子どもたちと一緒に歌ったり踊ったり。本当に誰もがくつろいでいて楽しそうでした。距離感が近かったですね。僕にとっては初めての経験で、日本に帰ったら自分もこんな楽しい会をぜひやりたいと思いました。
ひとり親の球児を支援。子どもたちが野球を選べるように
――そして2020年に始まったのが、「DREAM BRIDGE」という取り組みですね。
NPO法人「ベースボール・レジェンド・ファウンデーション」と一緒に、ひとり親家庭や児童養護施設、被災地の子どもたちに野球用具を贈っています。2023年のシーズンオフには、子どもたちやDREAM BRIDGEを支えるサポーター、スポンサーを招いたイベントも開きました。みんなが楽しめることが大前提。楽しんで帰ってもらって、それが結果的にチャリティーにつながればいいと考えています。
――DREAM BRIDGEを通じて、どんなことを実現したいと考えていますか?
スポーツをするうえで、今の子どもたちには野球以外にも多くの選択肢があります。残念だけど、子どもたちに野球を選んでもらわなければいけない時代になりました。でも、野球にはグローブやバットなど、いろいろな道具が必要で、どうしてもお金がかかってしまう。費用面で野球をやりたいのにできない子がいる一方で、僕たちプロは、契約メーカーから道具を提供してもらえるし、サラリーを受け取っています。それをずっと矛盾のように感じていました。
どのような子どもたちをプレゼントの対象としたらよいのか悩んでいたとき、ドラフト会議のドキュメンタリー番組をたまたま目にしました。すると、「ひとり親で育った」という選手が何人もいて。うちは決して裕福ではなかったものの、両親からもらった野球道具を、ボロボロになるまで使った思い出があります。この番組を見て、「これだ!」と、ひとり親家庭の子どもたちを対象にしようと決めました。2024年は、能登半島地震で多くの子どもたちが野球道具をなくしてしまったので、支援の範囲を広げています。
――子どもたちといえば、地元の島根で少年野球大会「和田毅杯」も開いていますね。
島根県には大きな野球大会が少ないので、純粋に僕が小学生のときに「こんな大会があったら良かったな」という大会を作りたかったんです。観戦を毎年楽しみにしていて、子どもたちの一生懸命な姿を見て心が洗われるし、心も体もリセットして、また頑張らないといけないよな、という思いにさせてくれます。大会を始めたのはワクチン支援と同じ2005年ですが、この野球大会も結局は自分がやりたいことをやっているだけなんです。結果的に故郷への恩返しになればいいかな、と思っています。
肩肘張らずに、これからも楽しみながら続けたい
――22年間の現役生活、お疲れ様でした。今後、寄付や社会貢献活動にどう取り組まれますか?
もちろん今後も続けていきます。ワクチンに関してはJCVさんとも相談して、新たなルールを作ります。ルールの“改定”ですね。今も1日に4000人の子どもたちが亡くなっています。始めた当初から半減したことはプラスに受け止めたいと思いますが、ゼロにはなっていません。現役時代のようにたくさんの本数を贈ることは難しいですが、継続こそ意味があると思っています。現役時代には、実際にワクチンを届けに行くことはできなかったので、JCVさんと一緒に届けに行ってみたいですね。DREAM BRIDGEや野球大会ももちろん続けていきます。
――ボランティアや社会貢献と聞くと難しく考えがちですが、和田さんのように楽しく続けるヒントを教えてください。
「僕のルール」を始めた20年前は、先輩方は公表せずに個人でいろいろな社会貢献をされていました。しかし、最近ではきちんと公表して社会貢献をしている選手が多いように感じています。「ヒットで」「奪三振で」などそれぞれのできることで取り組んでいます。今でも寄付やボランティアと聞くと、堅くなったり照れ臭かったりする人もいるかと思います。それでも、20年前から、状況は確実に変わったなと感じています。
自分自身がやりたいことをやり、楽しむことを大切に。「何かしてやろう」と肩肘を張らず、まずは一歩を踏み出す勇気を大切にしてください。「今日はいいことがあったから募金するか~」など気分でやってもよいと思います。その一歩を踏み出すことができれば、いつか賛同してくれる仲間が増えていくはずです。僕もこれまでと同じように、楽しみながら続けたいと思っています。