活動のヒント

  • 災害救援・地域安全活動

能登半島地震 寄り添って見えたこと、私たちにもできること【国際NGOの活動】

掲載日:2024.09.30

2024年1月1日に発生した能登半島地震から9カ月。今も現地で支援活動を続ける国際協力NGOの担当者に話を聞きました。
今回お話を聞いた2団体では、9月に発生した記録的豪雨による被害を受け、支援活動を行っています。本記事は、豪雨被害が発生する前の8月の取材内容により記載しています。

甚大な被害と支援活動

路面に亀裂が入った輪島市に向かう幹線道路(2024年1月4日、AAR Japan[難民を助ける会]提供)

最大震度7の揺れを観測した令和6年能登半島地震。特に被害が大きかった奥能登地域はアクセスの悪い中、交通網が甚大な被害を受けたほか、断水も長引き、復旧・復興の進捗にも大きく影響しました。

政府による被害状況等のまとめによると、死者数は災害関連死を含めて340人超。負傷者数も1300人を上回り、住家の被害は12万6678棟に及びました。完成した応急仮設住宅の数は、着工戸数6684戸に対して、5265戸。今も869人が避難所での生活を余儀なくされています。(8月21日発表、政府非常災害対策本部の広報資料より)

当初はなかなかボランティアも現地に入れず、そんな状況下でもこれまでに300を超える支援団体が各地から駆けつけ、行政と連携しながら被災者のために支援活動を行なってきました。

誰も取り残さない、障がい者支援に尽力するAAR Japan

生田目充さん(AAR Japan[難民を助ける会]提供)

地震が発生した1月1日の夜には被災地の情報収集を開始し、支援を続けているのが国際協力NGO「特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)」です。

1月2日に緊急支援チームの第一陣が珠洲市での炊き出しに向けて出発、3日から炊き出し班と物資配布班に分かれて活動を始めました。

なぜ、発災直後から支援を始めることができたのでしょうか。それは、「平時から障がい者団体や支援団体の皆さんとネットワークを形成しているから」と、情報収集と物資配布を担当した生田目充(なまためみつる)さんは話します。

「障がい者団体を通じて、発災の翌日には七尾市の障がい者福祉施設と直接連絡が取れるようになり、要望のあった食料や飲料水、衛生用品などを速やかに届けることができました。

AAR Japanは、世界の紛争地などでの緊急人道支援の経験から、高齢者や障がい者の方々などの『要配慮者』が支援から取り残されやすいことを学んできています。

漁業に携わる技能実習生などの在住外国人も同様に、支援から取り残されやすいという現状があります。石川県の国際交流協会や、在住外国人の支援団体に連絡をして、支援から取り残されている外国人がいないか聞き取りを行いました。言葉の問題ももちろんですが、支援情報にアクセスできておらず、支援物資を受け取れていない状況であったため、物資の配布などを行いました」

珠洲市のグループホームに支援物資を届ける生田目さん(2024年1月4日、AAR Japan[難民を助ける会]提供)

能登半島の先端に位置する珠洲市での支援の際は、物資の拠点や調達をどうするかが大きな課題だったと、生田目さんは振り返ります。

「幸運なことに、最初に支援に入った七尾の福祉施設を物資拠点にさせていただくことができました。ただ、当時は携帯トイレなどをまとまった個数確保することが難しかったです。携帯トイレや体拭きシートなどの断水対策グッズは、当会の活動に賛同いただいている企業の方々からご支援をいただくことで、ニーズに応じた支援を行うことができました」

家屋が倒壊した石川県輪島市の住宅街を歩く子どもたち(2024年4月20日、AAR Japan[難民を助ける会]提供 ©Yoshifumi KAWABATA)

時間の経過とともに被災者が必要とするものも変わっていきます。AAR Japanは、長引く断水に困っている住民のために集落の井戸を復旧。さらには、トラックを“お風呂カー”に改造し、各地を巡りました。

2月からは、理学療法士や作業療法士のボランティアと協力して、被災者へのマッサージも始めたそうです。「被災者には支援を受ける権利があります。そのため、できる限り現場でしっかりと話を聞き、ニーズに合った支援を行うことを常に意識しています」

春になって断水が徐々に解消されると、ニーズは生活再建に移っていきました。志賀町や中能登町の仮設住宅の入居者に対して、家電製品の購入を支援するなどしています。

和倉温泉の旅館で働く視覚障がいのあるマッサージ師との懇談会(2024年6月20日、AAR Japan[難民を助ける会]提供)

広域避難や仮設住宅への入居により、新たな生活の場でのコミュニティづくりも大切になってきているといいます。最近は集会所や談話室などの整備を進め、住民同士が集い、おしゃべりができるサロン活動に力を入れているそうです。高齢者の孤立を防ぎ、災害関連死を増やさないことが大切です。

発災から8か月。今後の課題を伺いました。「障がい者の支援に関しては、まずは、障がい者福祉施設の建物を復旧し、運営を再開させることが必要です。また、障がい者の就労支援や、地域で孤立状態にあり、支援を受けられていない人たちを地域につなげていきたいと思っています」

「在住外国人についても同様で、彼らを地域につなぐ必要があると考えています。日本語教室も能登半島には空白地帯があるため、日本語教室の普及を通じた防災ネットワークの形成にも力を入れていきたいです。その他、コミュニティ支援や災害関連死の予防、移動支援や複雑な被災者支援制度への申請の伴走など、まだまだたくさんの課題があります」

AAR Japanでは直接ボランティアを募集していないものの、被災者の方々から、片付け等で訪れたボランティアへの感謝の言葉を耳にしているそうです。世の中の関心が薄くなり、報道も少なくなる中で、ボランティアが来ると、まだ見捨てられていないという気持ちになり、勇気づけられるということでした。

1か月のうち3分の2は能登半島にいるという生田目さん。最後に、どのような想いで支援活動を続けているのか聞いてみました。

「ありがたいことに、たくさんの方々から貴重なご寄付をいただいています。自分はその方々を代表して、皆さんの気持ちを背負っているつもりで支援活動を続けています。中には、石川県外の障がい者福祉施設の方々が、少ない工賃の中から寄付を出し合って送ってくださったこともありました。私たちに託してくださった思いを支援という形に変えて届けられるよう、支援を必要とする人がいなくなるまで活動を続けたいと思います」

「ボランティアとして行くのはもちろん、寄付や、被災地で作られた商品の購入は、被災地の大きな力になります。たくさんの方に少しずつご協力いただくことが復興につながります。ぜひ被災地の現状に関心を寄せてもらえたらと思います」

寄り添って孤立を防ぐ、シャンティ国際ボランティア会の実践

中井康博さん(シャンティ国際ボランティア会提供)

国際協力NGO「公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(以下「シャンティ」)」の中井康博(なかいやすひろ)さんは、1月9日に輪島市門前町に入り、13日から支援活動を始めました。今日に至るまで、ずっと町の人たちに寄り添っています。

シャンティは、輪島市からの支援要請書を基に、門前町への支援に入りました。門前町は2007年にも震度6強の地震に見舞われた地域。シャンティはその際にも門前町で支援活動を行いました。

まず依頼を受けたのが、避難所の運営支援と環境改善です。避難所の開設当初は調整役がおらずうまく運営がまわっていなかったそうです。そこでシャンティは、門前町の全ての避難所を回って、調理場はあるか、支援物資は届いているか、支援団体は入っているかなどを調べて状況をまとめ、調整を進めていきました。中井さんの調整次第で、炊き出しの有無が決まったり、食料が届かない事態が発生したりし兼ねないので、責任重大だったといいます。

福祉事務所では環境改善や感染症対策のため、調達した段ボールベッドを組み立てた(2024年1月20日、シャンティ国際ボランティア会提供)

1月末からは、地元のシェフなどの有志のグループ「門前みんなのごはん」と連携して、公的な支援が届きにくい自主避難所や在宅避難者の元へ、週4回ほど食事が届くように。シャンティの石塚咲(いしづかさき)さんは、「地元の方が地元の方を支援するお手伝いができたのは、すごく良かったと思っています。調理室で他愛のないおしゃべりをする時間は、食事作りに参加した人たちにとっても、つながりを感じられる場になっていたようです」と当時を振り返ります。

石塚咲さん(シャンティ国際ボランティア会提供)

支援者と被災者の関係は、ともすると被災者が受け身になりがちに。そこに暮らす住民の方々が、主体的に動いていくことが復興を早めるカギとなります。石塚さんたちは住民と共に避難所の運営や支援活動に取り組むことで、住民の意思を反映しようと心を砕いてきました。

自主避難所や在宅の避難者たちに食事を届けるため、炊き出しを行った(2024年4月22日シャンティ国際ボランティア会提供)

被災者の声を受けて始めた支援のひとつに、「入浴・買い物支援タクシー」の運行があります。門前町では1月9日から自衛隊による入浴支援が始まりましたが、孤立集落となっていた門前町七浦(しつら)地区の人たちは道路状況の悪さや移動手段がないなどの理由から、利用できずにいました。

そこで、シャンティは地元のタクシー会社と連携。行政や自衛隊とも交渉し、1時間以上かけてやってくる七浦地区の人たちが利用しやすいように入浴時間を融通してもらいました。「門前周辺は高齢者が多くて、特に七浦の高齢化率は約70%。なかなか自力で行くことができない方が多く、中には41日ぶりに入浴できたという方もいました」と、中井さんは振り返ります。

石川県輪島市門前町で、自衛隊による入浴支援などが受けられるように運行した入浴支援・買い物タクシー(2024年4月8日、シャンティ国際ボランティア会提供)

3~5月は被災者の方々の様々なニーズを集約し、危険の少ない作業について、大学と連携して学生ボランティアに活動の場を提供しました。若者が少ない現地では、学生が来てくれることがとても喜ばれたそうです。「遠方から来てくれたという事実だけで、自分達は見放されていないと感じられ、うれしかった」。そんな声を被災者の多くから聞いたそうです。「一緒に活動すること自体が、住民の皆さんのエンパワーメントにつながっていたように感じます」と、中井さんは振り返ります。

最近は、サロン活動にも力を入れているというシャンティ。中井さんや石塚さんのもとには、日々たくさんの声が寄せられます。中には、遠くから来た自分たちに対してだからこそ吐き出せる思いもあるといいます。

「みんな知り合い同士という関係性だと、言いやすいこともあれば言いづらいこともあります。例えば、『(他の人は入れているのに)自分はなかなか仮設住宅に入れない』『り災判定が思った結果にならなかった』『親の介護が大変』などのネガティブなことは、なかなか身近な人には言いづらいといいます」

被災者の方の不安を少しでも軽くするためには、無理に明るくしようとしたりせず、自分の話をするよりは、相手の話を聞くことに徹することがポイントだと石塚さんは教えてくれました。

被災者と会話する中井康博さん(シャンティ国際ボランティア会提供)

今後の課題についてもお話を聞きました。課題をあげるときりがないものの、今後の生活再建が一番の課題だといいます。門前町の仮設住宅入居対象者は、8月にほぼ全員が入居を終えました。ただ、仮設はあくまでも仮の住まい。そこでの生活が保障されている2年間のうちに、生活再建の目処を立てなければなりません。

石川県の発表によると、公費による解体申請は2万6774棟。それに対して解体完了は2722棟にとどまっています(8月19日現在)。自宅の解体はいつ終わるのか、土地を離れるなら費用はどうすればいいのか。遅れる復興に、仮設住宅を出てからの暮らしを現実的に考えられない人も多いといいます。

「住む場所さえあれば暮らしは元通りになるかといえばそうではなく、コミュニティが形成されてから何年もかけてようやく元の生活に戻っていくものです。いつか私たちが町を去る日を見据えて、生活再建の支援を継続していきます」

今後は、新たに集える場として、移動図書館も準備しているということです。「シャンティはもともと本を通じた支援活動を行っている団体です。海外でも移動図書館の取り組みを行ってきました。今回、輪島市図書館と協働して、仮設住宅や公民館での活動を予定しています。本を囲んで数人でわいわいと楽しんでもよし、一人でじっくりと読書をするのもよし。それぞれに合った形で利用していただければと思います」

被災地から離れた場所で暮らす私たちでもできる支援はあるのでしょうか。石塚さんは「関心を持ち続けることが大切」と訴えます。「発災から8カ月が経ち、風化を懸念する地元の方の声も多く聞きます。現地が今どんな状況か調べてみると、自分にできることが見つかるかもしれません」

中井さんは「ボランティアとしてだけでなく、観光目的での来訪も喜ばれるはず」と話します。「被災地では仮設商店街ができたり、ゲストハウスを始める方がいたり、再興に向けて動き出しています。不謹慎と思わずに訪れてください。多くの方が奥能登を好きになってくれるだけで、復興の大きな力になります。遠くてなかなか行けないという方は、能登半島のために頑張っている人や団体を知ってもらったり、それを発信してもらったりすることも支援のひとつになると思います」

今回お話を聞いた2団体では、今回の豪雨被害を受けて、能登半島地震、豪雨被害に対する緊急支援の寄付を募っています。
詳しくは下のリンクをご覧ください。