活動のヒント
東日本大震災をきっかけにボランティア活動を始め、国内外の被災地支援を続けて14年。「ちょんまげ隊長ツンさん」の愛称で知られる角田寛和さんは、のべ200回以上にわたり、さまざまな被災現場に足を運んできました。ボランティア活動のきっかけや思いについて、たっぷりお話を聞きました。
目の前のお困りごとに向き合い続け、14年
――ちょんまげとお手製の甲冑に身を包み、サッカー日本代表を全力応援する。そんな角田寛和さん(通称:ツンさん)の姿を、テレビやSNSなどで見たことのある方も多いのではないかと思います。
ちょんまげのかぶり始めは2008年の北京オリンピックです。サッカーの国際試合には、自国のアイデンティティを表現した格好で応援する外国人サポーターが多く、僕も何か日本を表現するスタイルで応援したいと思ったことがきっかけです。そこでちょんまげと甲冑を着たところ、写真を撮りたいと言ってくれる外国人が多くいたんです。みんなが喜んでくれるのがうれしくて、続けることにしました。
ブラジルワールドカップにて対戦国(コロンビア)のサポーターと交流(本人提供)
――本業は千葉県にある靴屋の店主ということですが、サッカーワールドカップ会場でのごみ拾いが賞賛され、「FIFA公認ファンリーダー」にもなっています。そんなツンさんのボランティアのきっかけは何だったのでしょうか。
始まりは、2011年の東日本大震災の被災地支援です。最初は、テレビで毎日流れてくる被災地の惨状を「大変なことになった」と眺めているだけでした。でも、「着るものも、靴もない」という被災者の声をSNSで見て、「うちの靴を1度届けに行くぐらいなら…」と、思い立ち、車にたくさんの靴を詰め込み、千葉から400㎞車を走らせて被災地に届けることにしました。
現地で他に何が必要なのかを聞いていると、切実な声が集まってくるんですね。気づいたら、「わかりました!1週間後にまた来ます!」と約束していました。目の前のお困りごとに向き合うことを続けているうちに、2011年の1年間だけでも50回ほど被災地を訪れることになりました。
――その後はどのような活動をしていますか?
被災地支援としては、2016年の熊本地震、18年の北海道胆振(いぶり)東部地震や西日本豪雨災害、20年の豪雨球磨川水害でも支援活動を行いました。炊き出しや家の泥かき、掃除など、どんなサポートが必要なのか現地の声に耳を傾けるようにしていますね。
また、被災地支援以外にも障害者支援、ネパールやエチオピアでの貧困支援などのボランティア活動を行ってきました。
“この指とまれ”で集う「ちょんまげ隊」の強み
――「ちょんまげ隊」について教えてください。
「ちょんまげ隊」は実は固定メンバーがいるわけではなく、“この指とまれ”でその都度一緒に活動する仲間を募っています。これまで被災地支援に参加してくれた方は延べ2000人を超えていると思います。もちろんちょんまげじゃなくて大丈夫です(笑)。
NPO法人など法人格は持っていません。助成金などの対象にならない代わりに、災害が発生した現場にいち早く駆けつけ、小回りの利く動きができる良さがあります。
“この指とまれ”方式にしている理由は他にもあります。「ボランティアってまじめな世界だから継続してやらないといけない」と重く考えている人がいます。でも僕は「”断”続は力なり」だと思っていて。団体として束縛するのではなく、やる気があるときは参加してもらって、モチベーションがあがらないときは、断続の「断」ができるようにしています。
――“この指とまれ”でどのようにして200回以上の支援活動を続けてきたのでしょうか。
現地での活動を続けているとボランティア仲間の輪がどんどん広がり、全国に仲間ができました。「被災地にはいけなくても力になりたい」と思ってくれる仲間も多くて、「一口3900円のサンキュー募金」といった形で皆さんから支援いただくこともあります。
また、日本代表を応援しているからこそ、現在60あるJリーグチームのサポーター仲間ともつながりが生まれ、全国にネットワークができたこともボランティア活動の力になっています。「ツンさんがボランティア活動しているなら」と驚くほど情熱を持ってサポートをしてくれます。「スポーツの力」を感じますね。
その他、被災地の状況や「ちょんまげ隊」の活動を知ってもらうために、500回以上の講演を行ってきました。僕のことを知ってくれる方やフォロワーの方も増えて、その方たちの思いと支援が大きな力になっていますね。
――14年間ボランティアを続けるモチベーションの源はなんですか。
ボランティアというと、志の高い人だけができる敷居の高いものだと思っている方も多いと思うんです。かつての僕もそうでした。でも、今の僕にとってボランティアは大切な「趣味」です。
この活動をしていなければ一生出会えなかった人に出会えて世界が広がっていきます。靴屋をしているだけでは出会えなかった人たちがいて、味わえなかった感動があります。
南相馬の子ども達を愛媛県のスタジアムに招待(本人提供)
能登半島地震の支援活動と、サッカー観戦ツアーを通じて知った、笑顔の力
――2024年元旦に発生した能登半島地震でも、「ちょんまげ隊」はいち早く現地に入り、支援を続けています。
能登半島には、23年5月に珠洲市で地震が発生したときから足を運んでいました。現地の方の生の声を聞けるネットワークがあったからこそ、正月の能登半島地震では「食が届いていない」という現状をいち早く確認することができました。
現地に行くと目を疑うような光景がありました。1月中旬の極寒のなか、体育館に直に布団を敷いて、パーテーションもない中で眠っている人が至るところにいました。炊き出しでは震災発生以降「あたたかいご飯を初めて食べた」という方もいました。
――なんともつらい状況だったんですね。心がけたことはありますか。
「ちょんまげ隊」の支援活動の大きな特徴は、被災地の方々との交流にあります。炊き出しを通じた会話はもちろん、体育館の一角にゲームコーナーを作り、子どもたちが笑顔になれる場づくりに力を入れました。子どもたちが笑顔になると、親も笑顔になるんですよね。
僕らは支援を提供する側という一方的なボランティアではなく、一緒になってゲームを楽しんだり、炊き出しを被災者の皆さんに手伝ってもらったりと、そこにいる人を巻き込んでいくことを心がけています。
――2月には、能登半島の子どもたちを金沢のサッカースタジアムのオープニングマッチに招待したそうですね。
「ツエーゲン金沢vsカターレ富山」戦に、約80人の被災した子どもたちと保護者をバスツアーで連れて行きました。
子どもたちは、避難所ではおとなしくしていることを求められ、子どもらしく遊ぶことがなかなかできません。でも、試合中は飛び跳ねてもいいし、大声も出していい、歌ってもいい、そういうことを思いっきり楽しんでほしいと思っていました。
試合後のスーパー銭湯と、ファストフード店での食べ放題も大事なプログラムです。お風呂は「自衛隊のお風呂に3日に1回」という子もいて、食事も「食べたいものを食べたいだけ食べる」ということを純粋に楽しんでもらいたかったですね。
帰りのバスでは、「今日楽しかったことを自慢」しあったのですが、多くの子どもたちが「みんなと一緒に笑ったこと」と自慢していたことが本当に忘れられないです。笑い合うというそれだけの時間が、いかに貴重なのかをあらためて実感しましたね。
被災地の子どもたちをサッカー観戦に連れていく取り組みは、東日本大震災からこれまでにも何度か行っていて、今回はJリーグのサポーター仲間も資金集めに協力してくれました。
今回は、“この指とまれ”で集まったボランティア10名ほどで実行しました。残念ながら被災した子どもたちみんなを、平等に連れていくことはできません。でも、やらない言い訳をつくるよりは、できる糸口をみつけ、行動に移すことをいつも大切にしています。
サッカー観戦バスツアーの参加者と(本人提供)
――さまざまな形で能登半島地震の被災地支援されているツンさんですが、私たちにもできることはありますか。
僕は知ることも伝えることもボランティアだと思っています。ちょんまげ隊のSNSを見て、「ふーん」と思うだけでもいいわけですよ。そうやって関心の糸だけでもつむいでおいてもらえれば、例えば街中で能登半島の物産展などがあれば、「行ってみよう」となるわけです。これが関心の糸が切れてしまうと、全く別のことに時間やお金を使うことになりますよね。
また、現地で日々一生懸命活動している小さなNPO法人などの団体がたくさんあります。自分が応援できる団体を見つけて、寄付してみるのはいかがでしょうか。そういう団体には、お金という寄付が届くだけでなく、みなさんの活動を見ていますよ、応援していますよ、という「心の寄付」になると思います。「応援してくれる人がいるから頑張ろう」というモチベーションになりますよね。
もし、実際に被災地でボランティアしてみたいなと考えている方は、まずは1回参加してみるのもいいと思います。がれき撤去や炊き出しボランティアだけでなく、子どもたちと遊んだり、お話をきいたり、本当にいろいろな活動があります。事前の準備や被災地の方への配慮はもちろん必要ですが、自分でもできそうだという活動があれば、1回でも体験して、被災地支援の引き出しをつくっておくと、その後自分の大切な人を災害から守るときの判断基準にもなっていくと思います。
――ボランティア活動への向き合い方、そして人との向き合い方のヒントをいっぱいくれるツンさん。 最後に、ツンさんの考えるボランティアの魅力とは?
ボランティアは、身の丈に合った“親切”が大事だと思っています。お金という対価はありませんが、人との”縁“はざくざくもらえます。全国に第二の故郷がいくつもできて、自分たちのことを待ってくれている人がいるという豊かさは、ボランティアならではだと思いますね。年齢やバックグラウンドの異なる人たちに出会い、僕自身の学びの場になっているんです。ボランティアで出会うすべての人から学ぶことで、成長の機会をたくさんもらえています。
続けようと気負わなくて大丈夫です。まずは1歩踏み出してみると、日常生活では出会えない感動や出会い、学びが待っていると思いますよ。