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能登で2度被災、それでも「窯が残れば珠洲焼の未来は続く」 アメリカ出身の女性陶芸家が工房再建にかける思い
2025.01.14
石川県珠洲市の伝統工芸「珠洲焼」の作家、渡辺キャロラインさん(59)が、工房の再建に取り組んでいる。能登半島地震と豪雨災害で2度被災し、自宅は全壊したが、窯はかろうじて壊れずに残った。「窯が残っていれば珠洲焼の未来は続く。これからやりたい人のためにも建て直したい」と前を向く。(木戸佑)
2024年12月半ば、北陸特有の水気を含んだ重たい雪が降る中、同市若山町の窯場の周りでは、キャロラインさんが木の板や工事に使う道具を片付けたり、荷物を運び入れたりと忙しく動き回っていた。「亡き夫と2人で造った窯だから思い出深い」
2024年の元日、愛犬ルビーの散歩中に強い揺れに襲われた。珠洲焼に使う土を触ろうかと考えている最中だった。急いで自宅に戻ったが、玄関のドアは開かなくなり、近くの水路はあふれ自宅周辺には水が流れていた。自宅隣の窯を確認に行くと、煙突が損傷していたが窯自体は残っていた。「少し修理すれば、窯は使える。こうして生き残ったのは運命かもしれない」と思った。
◆アメリカで出会った珠洲焼職人の夫 二人三脚でつくった窯と作品
米国ニュージャージー州生まれ。コロンビア大で日本文学を専攻し、米国で出会った渡辺幸治さんと1988年に結婚し、珠洲焼職人の幸治さんと珠洲に暮らし、2人で窯も造った。だが、98年に幸治さんが46歳で食道がんのため死去。キャロラインさんは、英会話教師や養蜂をしながら一人息子をこの地で育て、自らも珠洲焼職人として作品を作り出した。
35年以上過ごしてきた珠洲の地。無農薬で野菜を作り、友人が作った米を買ったり、肉を分けてもらったり。「里山の生活が好き。地震で夫が残した珠洲焼の作品も失ったが、窯が残っていれば未来は続く」
工房と窯を建て直し、また作品を作ることが自分にできることだと決意。知り合いの大工やボランティアにも助けられ、自身は能登町の友人宅に身を寄せながら自宅と工房、窯に通い、再建準備に取りかかった。
◆9月豪雨で自宅は全壊 窯は無事
その矢先、9月の豪雨で自宅は浸水、家の土台部分も流された。再建中の工房と窯に被害はなかったが、水路からあふれた水が近くまで土を削っていた。地震で半壊と判定された自宅は全壊となった。
工房の近くに滞在していたキャロラインさんは、停電する中、夜通し恐怖を感じながら過ごした。窓から見える水かさはみるみる増え、ボキッボキッと木が倒れるような音も。「地震の時よりも怖かった」
短期間に2度の災害に遭い、「アメリカに帰ろうか」との思いもよぎった。その気持ちを変えたのは、やはり亡き夫とともに造った窯だった。「窯が大丈夫なら私はここに残る。この地で一日一日どう生活を続けるか考え続けたい」
窯や工房の再建が順調に進めば、26年には新作を出せると見ている。愛犬ルビーとともに、窯焚(だ)きの時間を過ごす日を楽しみに、自分のペースで歩を進める。
2024年12月半ば、北陸特有の水気を含んだ重たい雪が降る中、同市若山町の窯場の周りでは、キャロラインさんが木の板や工事に使う道具を片付けたり、荷物を運び入れたりと忙しく動き回っていた。「亡き夫と2人で造った窯だから思い出深い」
2024年の元日、愛犬ルビーの散歩中に強い揺れに襲われた。珠洲焼に使う土を触ろうかと考えている最中だった。急いで自宅に戻ったが、玄関のドアは開かなくなり、近くの水路はあふれ自宅周辺には水が流れていた。自宅隣の窯を確認に行くと、煙突が損傷していたが窯自体は残っていた。「少し修理すれば、窯は使える。こうして生き残ったのは運命かもしれない」と思った。
◆アメリカで出会った珠洲焼職人の夫 二人三脚でつくった窯と作品
米国ニュージャージー州生まれ。コロンビア大で日本文学を専攻し、米国で出会った渡辺幸治さんと1988年に結婚し、珠洲焼職人の幸治さんと珠洲に暮らし、2人で窯も造った。だが、98年に幸治さんが46歳で食道がんのため死去。キャロラインさんは、英会話教師や養蜂をしながら一人息子をこの地で育て、自らも珠洲焼職人として作品を作り出した。
35年以上過ごしてきた珠洲の地。無農薬で野菜を作り、友人が作った米を買ったり、肉を分けてもらったり。「里山の生活が好き。地震で夫が残した珠洲焼の作品も失ったが、窯が残っていれば未来は続く」
工房と窯を建て直し、また作品を作ることが自分にできることだと決意。知り合いの大工やボランティアにも助けられ、自身は能登町の友人宅に身を寄せながら自宅と工房、窯に通い、再建準備に取りかかった。
◆9月豪雨で自宅は全壊 窯は無事
その矢先、9月の豪雨で自宅は浸水、家の土台部分も流された。再建中の工房と窯に被害はなかったが、水路からあふれた水が近くまで土を削っていた。地震で半壊と判定された自宅は全壊となった。
工房の近くに滞在していたキャロラインさんは、停電する中、夜通し恐怖を感じながら過ごした。窓から見える水かさはみるみる増え、ボキッボキッと木が倒れるような音も。「地震の時よりも怖かった」
短期間に2度の災害に遭い、「アメリカに帰ろうか」との思いもよぎった。その気持ちを変えたのは、やはり亡き夫とともに造った窯だった。「窯が大丈夫なら私はここに残る。この地で一日一日どう生活を続けるか考え続けたい」
窯や工房の再建が順調に進めば、26年には新作を出せると見ている。愛犬ルビーとともに、窯焚(だ)きの時間を過ごす日を楽しみに、自分のペースで歩を進める。