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【高藤直寿選手】悲願の金、そしてパリ2024大会へ

掲載日:2022.05.12

日本のお家芸、柔道。昨年の東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会では、日本勢が史上最多となる9個の金メダルを獲得しました。

日本の「金1号」に輝き、代表チームに勢いをつけたのが男子60キロ級の高藤直寿選手(28)です。新型コロナウイルスによる大会の1年延期を経て、日本武道館で夢を結実させました。

涙の銅メダルから悲願の金。そしてこれから目指すのは――?

普段練習を重ねる道場で、高藤選手にうかがいました。

コロナ禍で大会延期・・・精神的に強くなった

――2016年のリオデジャネイロ大会では涙の銅メダルでした。2度目のオリンピックで頂点に到達しましたね。

リオ大会のリベンジを果たす、という強い思いがありました。リオと比べて我慢強く試合ができたところが成長点でしょうか。「努力は裏切らない」ということを再確認できました。やるべきことをしっかりやれば勝てる、不可能はない。そんな自信をつかむことができた東京五輪でした。

――東京2020大会は感染対策で選手の行動が大きく制限されました。経験豊富な高藤選手にとっても、コロナ禍で特殊な環境での大会だったのではないでしょうか。

始まるまでは、「どういう大会になるのだろう」とわからないことだらけでした。ただ、どんな状況でも試合はやってくるし、必ず金メダルを取ってやるという自信は揺らがなかった。

コロナ禍で対応力がついたと思いますね。練習場所を探さなければいけなかったり、組み合う稽古ができない中でトレーニング方法を工夫しないといけなかったり。緊急事態宣言で練習がストップした時も、「脳みそは成長できる」と思っていました。柔道の映像を見て、頭の中で技のイメージを繰り返しました。大会の延期もプラスに捉えるようにしていたし、精神的に強くなりました。

「大丈夫」――試合前日、妻の言葉が背中を押した

――高藤選手の初日の金メダルで日本チームに勢いが生まれましたね。4試合のうち3試合は延長戦にもつれ、勝負強さが光りました。日本のトップバッターという重圧をはね返しました。

僕が初日に我慢強い試合ができたので、よい流れを作れたのかなとは思います。アクシデントが起きなければ、どの階級も日本選手が1番強い。僕の後に出場した(阿部)一二三や(大野)将平先輩が淡々と実力を出し、金メダルを取っている姿を見て、うれしかったですね。チームの雰囲気が1日ごとに変わっていきました。

――大会前から「世界一のパパを証明したい」と宣言していました。

ホッとしました。妻からは試合前日の電話で「こんなに努力している姿を見たことがないから、絶対大丈夫」という言葉をもらって背中を押してもらいました。僕が若い頃、やんちゃだった姿も知っているし、練習に身が入らなかった時期も知っている妻なので。

東京大会に向けては自分自身、練習をやりこんだ実感があったのですが、自分の色んな時期を知っている妻から見てもそう感じてもらえたんだな、って自信になりました。

――お子さんたちの反応はどうでしたか。

オリンピックの後はテレビのバラエティー番組に出演する機会が増えたので、それを喜んでくれていますね(笑)。番組を見た友達から「お父さんすごいね」と言われているみたいで。オリンピックって夢があるぞ、というところを見せられたんじゃないかな。

ただ、もう少し成長したら、金メダルだけではなく、「リオデジャネイロ大会の銅メダルにも意味があったんだよ」ということは伝えていきたいですね。

朝日新聞社提供

ボランティアも含めて「日本選手団」だった

――今回の柔道の会場は1964年の東京オリンピックと同じ日本武道館。ただ、無観客での開催となりました。

無観客の会場で力になったのは、ボランティアの皆さんの存在でした。本当に暑い中、会場の外で汗だくになりながらも笑顔で僕らを誘導してくれたり、試合前に「頑張ってください」と声をかけていただいたりしました。

柔道をやっている学生たちもボランティアに参加していて、一生懸命に畳の消毒をしてくれていました。行く先々でボランティアがいてくれて、選手村でも困ることなく過ごせましたし、会場にボランティアの方がいっぱいいるってだけで勇気をもらえました。

皆さんの力のおかげで畳の上に立って戦うことができる。それを再認識した大会でしたし、そうして一緒にオリンピックを成功させようとしてくれている人たちに強いところを見せたい、って思いました。

――閉会式では大会の顔として日本国旗のベアラー(運び手)に選ばれましたね。式典ではボランティア表彰もありました。

閉会式の会場に入るまで、そんな役目だとは知らされていなかったんですよ。正装で会場に着いたら、他の日本選手はジャージー姿。自分だけ間違えちゃったかなって焦りました(笑)。閉会式でボランティアの方々が表彰されたように、選手やコーチだけではなくて、ボランティアも含めて日本選手団だったのだと思っています。

――普段の柔道の大会でボランティアの力を感じることはありますか。

国際柔道連盟(IJF)が主催する柔道の国際大会「IJFワールド柔道ツアー」では、現地の若い人がボランティアで1日付き添って、荷物を持ってくれたり、会場を案内してくれたりしています。

ボランティア同士がどの選手の荷物を誰が持つかで言い合いになっていることもありますね。僕の荷物も「持ちたい」「持ちたい」って言ってもらえて、うれしかった思い出があります。言葉は通じなくても交流があって楽しいです。

柔道は白と青の柔道着があって、防寒着や飲み物も持って会場に入るので1人で荷物を持ち運ぶのは大変なんです。助けてもらうのはとてもありがたいし、ボランティアの存在がなければ大会はできません。

――東京2020大会で改めて柔道の魅力が国内外に伝わったと思います。高藤選手にとって柔道の面白さはどんなところですか。

やればやるほど疑問が出てくる、「深すぎる」競技なんです。世界の200カ国以上に柔道は広がっていますが、技術は日々進化していますし、時代によってルールも変化します。どんどん深い部分にはまって、答えが見えない問いを追求するような楽しさが柔道の魅力です。

柔道を始めたばかりの人たちには、とにかく楽しんでほしいですね。仲間が増えて、自由に体を動かせて、思い切り相手を投げられて、勝ち負けがある。楽しさはゲームと一緒です。

僕は最近eスポーツにハマっているので、例えばeスポーツ関係の友達を柔道の大会に呼んで、そこで本物の柔道を見てかっこいいと思ってくれたらいいな、とも思います。そして頭だけではなく実際に体を動かす楽しさも知ってもらえれば何よりです。

――選手として円熟期に入ります。今後の目標を教えてください。

東京2020大会はリベンジとして臨みましたが、次は王者として臨むことになるのでさらに厳しい道のりになると思います。1つ1つの試合を大切にして、自分の悔いが残らないようにやり切って、再び金メダルを取るのが目標です。

自分にしかできない柔道。リオ大会の高藤と、東京大会の高藤を足して2で割ったような、豪快さと堅実さを兼ね備えた柔道でパリでも金メダルを取りたいです。