活動のヒント
「健康に気を遣った、でも頑張り過ぎない」をコンセプトに、自然派のメニューを提供する東京都調布市のカフェ「空と大地と」。木のぬくもりを感じる空間で、自家製の野菜がたっぷり使われたキッシュやカレー、オーガニックの豆を使ったコーヒーなど、こだわりのメニューが楽しめます。
地元の人たちに親しまれているこのカフェで働いているのは、主に精神障がいを持つ方々。それぞれが得意なことを生かしながら、生き生きと働いています。お店で働く人も、訪れる人も。笑顔があふれるカフェで実践されていることは――。
オーダーメモ、棚のラベル、配膳の写真・・・働く人に優しい仕組み
京王線つつじヶ丘駅から徒歩2分。品川通り沿いに「空と大地と」はあります。車椅子やベビーカーでも入りやすいように、段差がないバリアフリーの構造になっている店内は、木製のインテリアや観葉植物が並ぶ、明るく開放的な雰囲気です。
お客さんをまず受け入れてくれるのは、レジカウンターの会計係。お客さんの注文を聞き、ミスが出ないように注意しながら、伝票サイズの紙に書かれている商品名や「1、2、3」といった数にマルをつけて確定させていきます。
店内ではほかにも、引き出しや棚に何が入っているかを表示するラベルや、配膳方法を写した写真などがあり、ここでは働く人がスムーズに仕事ができるよう、いくつもの小さな工夫がされていることがわかります。
席に着いたお客さんには、お水、おしぼり、食器を運び、「いらっしゃいませ」「少しお待ちください」と丁寧な声かけがなされます。コーヒーにつくシロップも、有機栽培で作られた砂糖を使っているものが採用されていて至るところに優しさが感じられます。
メニューの中には、つつじヶ丘駅南口にある人気パン屋「ブーランジェリー クープ」のパンや、自由が丘にあったパイ専門店「ボン・モマン」のキッシュ、合成乳化剤などの不使用をうたった「プレマルシェ・ジェラテリア」のジェラートなどもあります。このお店の趣旨に賛同してもらいメニュー提供がかないました。
店員はリストで一つずつ確認しながら注文を受けます(写真は吉原信義さん)
商品力で勝負
「温かくて自然な雰囲気のお店を目指しています」と話す諏訪智さん
「空と大地と」がオープンしたのは2019年5月ですが、そのルーツは医師だった故・山田禎一さんが調布市に山田病院を開設した1957年にさかのぼります。
山田病院の精神科に入院した患者さんが退院した後、就業先がなかなか見つからなかったそうです。そこで、患者さんたちが社会で働く場所を見つけて収入を得られるようにしたいと考えた山田さんが、72年に国内で初めてとなる精神障がい者の授産施設「創造農園」と、その出版部門である「精神医学神経学古典刊行会(現・創造出版)」を立ち上げました。
創造農園は、自治体から発注される印刷物や医学書を中心に受注する精神障がい者のリハビリ施設でした。売り上げは順調だったものの、デジタル化の影響などが徐々に印刷業に波及。新たな雇用を生み出す施策はないか思案していたところ、諏訪智さんが入職しました。
諏訪さんはそれまで、福祉の仕事をしたことはありませんでした。でも、だからこそ、障がいをもつ人にどうしたらきちんと稼げる仕事を提供できるのか、「外の視点」で考えたといいます。
ヒントになったのは、ブドウ栽培やワイン造りを手がける「ココ・ファーム・ワイナリー」など、作り手が障がい者であることを全面的には打ち出さず、商品力で勝負をして成功した事業です。
「福祉系のお店だと寄付する感覚で利用されているところもあると思います。そうではなく、働いている人のことは意識せずとも一般の人が普通に利用したい、買いたいと感じるものをつくりたいと思いました」
この地域には周辺に保育園がいくつもあるものの、保護者がおしゃべりをしたり、くつろいだりするところがなかったことから、新たな事業はカフェに決まりました。
諏訪さんの思いを伝えると、様々な人たちが「サポーター」として協力してくれました。日本食文化史・精進料理研究家の麻生怜菜さんがオープンメニューを監修したり、CMなどの装花を手がけるフラワーショップ「logi plants&flowers」が店内に置く植物を選んだり、「手づくり」と「デザイン」にこだわり家具作りをおこなう「石巻工房」がインテリアを手掛けたり。ロゴや内装などお店全体のプロデュースは石井彰一さんが手がけ、輪はどんどん広がりました。
「一流店と同じことはできません。お客様には、ここの少しおっとりしたところも楽しんでもらえるといいなと思っています」と諏訪さんは話します。
客席と一体になっている厨房(ちゅうぼう)では働いている人たちの姿が垣間見られます(写真は羽太成二さん)
「地域の人たちとの触れ合いが楽しい」
「空と大地と」で働く方たちはどんなことを感じながら仕事をしているのでしょう。
吉原信義さんは「収入を増やしたい」という思いから、このカフェで働くようになりました。「近所のお子さんたちがカフェに来てくれるのがうれしいです。天使のようです」と顔をほころばせます。
落合透さんは、以前、飲食業界で働いていた経験があり、人と接する仕事がしたいとカフェでの仕事を希望しました。「普段接する作業所の人たちだけではなく、地域の人たち触れ合えることが一番楽しいです」と穏やかな雰囲気で教えてくれました。
ベテランの羽太成二さんは、お客さんに「おいしい」と言ってもらえることにやりがいを感じています。「ここは雰囲気がいいですよ。みんないい人ばかりです」と環境のよさを挙げました。
配膳などをしている南高志さんは「今のまま働いていきたいです」
調理担当の女性は、かつてパティシエをしていました。パイやキッシュを作っていて、おすすめは自身が手がける「くるみパイ」だそうです。
ショーケースにはおいしそうな手作りのキッシュが並びます
地元の人たちが集う場所
近所に住む鈴木知美さんは、現在、5カ月の子どもを育てていて育児休暇中。ランチを食べに月2〜3回ほど「空と大地と」を利用しています。
「テラス席でご飯を食べている人を見かけたことがきっかけで訪れてみたんです。料理もこだわりが感じられておいしいですし、お店の雰囲気もいい。この周辺にはゆっくり出来るカフェがあまりなかったので重宝しています」
市内に住む30代の男性はゆったりとコーヒーを飲む時間を大切にしているそうで、「木の温かさが感じられる空間が好きです。コーヒーも本格的でおいしいですね」と満足そう。
思い思いの過ごし方をするお客さんの様子から、働く人に優しい場所は、集う人にも優しいことがわかります。
「本日のおすすめ」になっていたアップルパイとコーヒー