活動のヒント

  • 医療・福祉・人権
  • 文化・芸術
  • スポーツ

タンゴで広がる笑顔の輪【タンゴセラピーのボランティア】

掲載日:2023.11.29

高齢者や障害者の介護施設などを訪れて利用者と手を取り合い、みんなが笑顔に――。

「アルゼンチンタンゴ」の音楽と踊りの要素をエクササイズに取り入れて、心と身体をケアする「タンゴセラピー」をご存じでしょうか。

本格的なタンゴを踊るわけではありません。手を握って話をしたり、タンゴの音楽に合わせてエクササイズをしたり、簡単なステップを踏んだりすることで、ちょっとした「非日常」を味わえるのが「タンゴセラピー」の魅力です。
この「タンゴセラピー」を通じてさまざまな社会課題を解決しようと取り組んでいるのが「日本タンゴセラピー協会」です。同協会では、多くのボランティアがその活動を支えています。
今回は、施設への訪問活動を取材しました。

ハグ、エクササイズ、ダンス……タンゴの音楽で温まる心と体

腰を低くして利用者に目線を合わせるボランティア

この日、タンゴセラピーの一行が向かったのは東京都内の介護施設「デイホーム笑み」。

みなさんは最寄駅で集合し、和気あいあいと施設に向かいます。自己紹介を済ませたあと、初めての参加者がいる場合は、ここで高齢者の体の支え方などのレクチャーを行います。

施設の利用者のみなさんはタンゴセラピーの時間を楽しみにしているそうで、アルゼンチンタンゴのDVDを見ながら待っています。円になって座って準備ばっちり。一行を笑顔と拍手で迎えます。

始める前に、手を洗い、消毒をしたら、タンゴセラピーのスタートです。ネクタイにベスト姿の「ケニーさん」こと、同協会理事の中川健一郎さん(46)がタンゴの音楽をかけながら進めます。この日は2人のボランティアが活動をサポートします。

まずはあいさつタイムです。中川さんとボランティアがみなさんのもとへ歩み寄って腰をかがめ、一人ひとりと握手やハグをします。
このハグはスペイン語でアブラッソといい、アルゼンチンではあいさつの際に気軽にアブラッソをします。活動の際は、お互いの距離感を大切にしながら、ちょうどいい距離感でのあいさつを大切にしています。

対面でのあいさつで少し打ち解けたボランティアと利用者さんは、今度は席に戻って順番に自己紹介をしました。

アブラッソの後は、座ったままできるエクササイズです。タンゴの音楽に合わせながら、ケニーさんの合図で手足を動かしたり、ストレッチをしたり。手を肩に添え、両肘で数字を順番に描くエクササイズは大盛り上がりです。

「ケニーさん」こと中川さんと同じ動きでエクササイズをするみなさん

ボランティアは、利用者のみなさんが安全に体を動かせるようにサポートするのが役割です。
笑顔でアイコンタクトを取りながら周りの方々を見守ります。「大丈夫ですか」と声をかけ、一人ひとりを丁寧にサポートしていました。
タンゴの音楽は、ちょうどみなさんの青春時代の音楽。慣れ親しんだ方も多いようで、メロディーを口ずさむ女性も。

心身がほぐれ、笑顔が増えてくると、いよいよ「ダンスタイム」です。まずは音楽に合わせて左右に足踏みをするステップの練習です。椅子から立ち上がる人、座ったままの人もみんなで音楽に合わせて左右に足踏みをします。

ステップを覚えたら、ケニーさんとボランティアさんが順番に、みなさんのもとへ歩み寄ります。心地よい音楽に合わせて、ペアになって向き合い、アブラッソした状態でステップを踏みます。
「踊ったことないわぁ~」と恥ずかしそうにしていた方も、繰り返すうちに楽しそうに踊っていました。

ケニーさんと手を取り合って踊った坂本寿美子さん(85)は、「タンゴの時間を、毎回心待ちにしています。タンゴのリズムが大好き。それに普段、音楽や踊りの機会はなかなかありませんから。施設の方とこうして和気あいあいとできることもとても貴重です。」

タンゴを楽しむ様子がにじみ出ていた坂本寿美子さん

簡単なステップではありますが、ダンスタイムが終わるころにはすっかり体がぽかぽかに。あちこちから楽しそうな声や笑顔が広がっています。タンゴセラピーの1時間で、驚くほど心と身体がリラックスしてほぐれることがわかりました。

笑顔や喜びが直に伝わってくるのが大きな喜びに

この日、ボランティアとして参加したのは、溝口麻里子(64)さんと水野直子(65)さん。
施設を出た後、二人は「今回は利用者のみなさんの盛り上がりがすごかったです」と顔をほころばせました。

溝口さんは15年ほど前にタンゴを始め、ブエノスアイレスに行った経験もあるそうです。
タンゴセラピーを始めたのは半年ほど前から。
その前年に夫を亡くして気持ちが沈み、感情がなくなってしまったと言います。それでも、「何かしなきゃ」と思ったことがきっかけでした。施設を訪れるとみなさんがものすごく喜んでくれて「自分が行くことでこんなに喜んでくれる人がいるんだと感じられることがうれしかった」と話してくれました。

タンゴで人が笑顔になるのは「アブラッソ」があるからなのではないか、と溝口さんは考えています。
「人と触れ合うことで気持ちが和みますよね。利用者のみなさんが元気になるだけではなく私の方も元気をもらっています」と話します。

「タンゴセラピーを通じて自分が人の役に立てる喜びがあります」と溝口さん

水野さんは4年前まで英語の教員をしていて、とても忙しく、ストレスも多かったそうです。
そんなときにタンゴに魅せられて、50歳を過ぎてからタンゴを始めたと言います。
「仕事をしながらだと忙しいはずなのに、ボランティアは充実感があるので続けられました。利用者のみなさんが自然と笑顔になるのを見るのがやりがいになるんです。参加のペースも、週に何度も参加したり、来ない月があったりと自分のペースで楽しみながら参加しています。」

「靴がかわいらしいのもタンゴの魅力です」と水野さん

二人は「タンゴセラピーというとハードルを高く感じるかもしれませんが、やっていることは足踏みのような簡単なものです。経験がない人でも大丈夫です」と口をそろえます。
ボランティア同士の交流もあり、溝口さんは「大人になってから友達ができることはあまり多くありませんが、ボランティアをきっかけに友達もできます」と言います。

人とのふれあいで自分の心も平和に

「タンゴセラピーで平和な日本社会を実現させたい」と話す中川さん

中川さんはもともとアルゼンチンタンゴの講師をされていましたが、タンゴセラピーの秘める可能性に魅力を感じ、現在は同協会理事として精力的に活動されています。

タンゴセラピーの特徴は「アブラッソ」という抱擁にあり、心地のよい音楽を使うことで肩の力が自然に抜けて、抱擁し合う人たちがお互いに癒やされ、心が落ち着くのだそうです。

最初は手をつなぐところからスタートする人も多いですが、慣れてくると顔見知りにもなってアブラッソができるようになるといいます。「アブラッソで人との距離が近くなり、利用者のみなさんが心を開いてくださるのがとてもうれしかったです。」

若い頃に日本で流行っていた馴染みのあるタンゴの曲を聴くことで青春時代を思い出し、次の機会には少しおしゃれをして迎えてくれる方も。そうした利用者の変化を感じることもあるそうです。

最近では、留学生など外国籍の方のボランティア参加も多く、セラピーを通じた国際交流にもなっているんだとか。施設で過ごす方の中には外国語を話せる方もいて、久しぶりに外国語を話すことができ、大きな喜びにつながっていると言います。

中川さんはまた、ユネスコ無形文化遺産にも登録されているアルゼンチンタンゴを使った、このタンゴセラピー活動に「平和」への気持ちも込めます。
「日本は超高齢社会を迎えていますが、タンゴセラピーには、寝たきりの高齢者を減少させる力があると思います。また、ボランティアの方々に参加いただくことで、タンゴセラピーを地域交流、多世代交流、そして国際交流の場とすることができます。

人々が集まり、日常的にボランティアすることで、日本全体がとてもよい空気になり、元気に穏やかになっていくのではないかと思いました。日本のあちこちでタンゴセラピーが行われることで、小さな平和がたくさん生まれている社会を実現したいです」と語ります。

「高齢者の方々は、たくさんの人生経験を積んできた僕らの大先輩です。大きな心で受け入れてくれます。高齢者の方々の優しさに触れ、人の素晴らしさを知ることで、自分の心の中も平和になります」と言います。逆に自分たちの方が先入観を持っていたなと気づかされることもあるそうです。

ボランティアの方々はタンゴも高齢者の方々と接するのも初めてという方が多いです。「来てみたら思っていたのと全然違った。自分の方が得るものがたくさんあった」という声もよくいただきます。
「忙しい人も多いと思いますが、高齢者の方々のペースに合わせてゆっくり話すと、自然と癒されるのがわかります」と言います。

「参加してみると、いろいろな発見があると思います。毎週、どこかの施設で開催しているので、ぜひ、どなたでもご参加ください。」